菊地功大司教×小西広志神父 対談「シノドスを語る」第一回

菊地功大司教×小西広志神父 対談「シノドスを語る」第一回

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Комментарии:

@坂井俊子-w2t
@坂井俊子-w2t - 06.01.2023 09:43

平和とは秩序の静けさ🎇

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@ましゅ麻呂-g4r
@ましゅ麻呂-g4r - 06.01.2023 11:28

素晴らしい! このような対談をたくさん見たいです。

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@荒井貴-r9r
@荒井貴-r9r - 06.01.2023 16:28

共同体とは?『イベント参加』≠『共同体』。とても深い問題だと思います。

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@kummyh984
@kummyh984 - 06.01.2023 20:14

成人受洗者が「普通にカトリック教会という文化」を身につけられるまでは、ある種の「距離感」があるように思います。

受洗教育を受けて、洗礼と堅信の秘蹟を受けて…だけでカトリック信徒になりきれるわけじゃない。
成人受洗者だからこそ、自分なりに「信仰を生きられるようになるまで」の道のりがあります。
私はたまたまカトリック教会の「表側と裏側(いわゆるハラスメントなどの問題ではない方です)」を色々と体験しつつ信徒になりました。
感じるのが「ステレオタイプの信者さんやミッションスクールなど、友人との交流を求めるタイプ」の人の多さと、「役員・手伝いをやってくれそうな人探し」の多さが共同体の連帯を妨げてる印象。


中途半端に人数の多い教会共同体ほど、新しい信者さんが来ても定着出来るまでの受け皿になれない傾向が見られます。
受洗はアジア第二のカトリック国である韓国だったので、日本に来て「ゆる〜く自主的な連帯」の少ない教会共同体に慣れるまで時間がかかりました。

都市部だと、信者数が中途半端に少なく、小教区の運営だけで手一杯な状況になりがちです。
ご近所との揉めごとを抱えやすい傾向があり、個人主義を信仰→共同体に持ち込む人が多い印象を受けます。
教会のマネジメントに参加したくて教会通いするんじゃなく、素朴に主の家に通い、祈り、命の糧を養いたいなぁ…が第一でしょう。

「何となくカトリックの信仰がある」と感じられ、小教区がサポートできるようになるその前に、「XXを手伝ってください」という「注文の多い料理店」方式の共同体になりがちなのが日本の都市部の教会のような感じを受けます。

どう思いますか。

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@thomasaqinas2000
@thomasaqinas2000 - 21.08.2023 09:41

「共同体」は「協働体」ですよね。神経細胞が集合集積して個体脳が発生し、個体脳が集合集積し社会脳となって、大きな働きをなし得るようになりました。
 協働する共同のテーマを「意味付与」「価値創造」することが、「純粋現実態」の「似姿としての人間」だと思います。
 そしてそのテーマの一つは、決定的に『福音』の本質でしょう。即ち、偏見や固定観念を打破して「平和と一致」を実現することですが、共同体の協働は、『福音』が示した「赦し」の宣教以外にないと思います。自らに死を与える、十字架に架ける者にさえ「赦す」こと・・・。世界中の戦争を止めるにも、「赦し」しかないのははっきりしていますが、「難しい」の態度で済ませている気がします。そこを、共同体が協働し、考えましょう!!
 中国の生活、ロシアの生活、キューバの生活、北朝鮮の生活・・・。貧困もあるかもしれませんが、民主・資本主義でもそれはある。逆に、社会・共産主義でも、自由な暮らしもある。楽しく生活している人も多くある。結局、『福音』が批判した偏見・固定観念の「主義」が対立を生じさせている・・・。どうしたらこの「主義」を乗越えられるか?考えましょう!!
 それを必死に協働する共同体、これこそ教会の本来のシノドスと思います。

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