「週刊大司教 第百八十二回 年間第二十三主日」

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カトリック東京大司教区

1 месяц назад

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Комментарии:

@あつこ-h6o
@あつこ-h6o - 07.09.2024 13:38

有難うございました。

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@mariashiikawa6496
@mariashiikawa6496 - 07.09.2024 17:16

父と子と聖霊のみなによって。ア-メン
主イエス様のご祝福が皆さまのうえにありますようにケルンから祈ってます。ア-メン

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@克子長浜
@克子長浜 - 07.09.2024 18:31

ケルンでご活躍の皆様のうえに、主のご保護がありますように。🍀

目をひらき、耳を傾け、希望を失わず歩みたいと思います。🌻

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@滝澤共栄
@滝澤共栄 - 08.09.2024 06:08

大司教様ありがとうございます。
マルコ福音書に書かれている、全ての命を守るために日間をとうして朗読される事は意義深い、フランシスコ教皇様が呼びかけを理解するため、現実の中で閉ざされている、私達の目と耳を開く事が必要。現実に対して耳を塞ぎ、見えるはずの世界から目を背けさせます、教皇フランシスコ様はそのような縛りを全て打捨て、命が育まれる事を共有しどうしたら神が望まれるように育み育てる事が出来るのか、マルコ福音書ヱッファタの言葉で、耳の聴こえない人の耳を開き、口がきけるようにさ れたと示されている、様々な困難を抱えて生きる人に希望と喜びを生み出す奇跡です、困難の中に生きている人に、神の慈しみ希望のメッセ一ジです、全ての人に取って必要とされた
目、耳の開放でもあります、私達は命を生かされていることに満ち溢れているでしょうか、喜びに満たされ希望に満ち溢れるため、全ての恐れを払い恐れるなとの神の呼びかけ声を、心の耳で聞き入れているでしょうか、私達は神の言葉を心に刻み、心の耳をイエス様に開いて頂けますように、私達一人ひとり今日ヱッファタと言う力ある言葉が必要です、私達の認識も限界がありそれを認め、イエス様を信頼し歩めます、私達の耳と目を開こうとして今もイエス様はヱッファタと呼びかけておられます。神に感謝🌟

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