Комментарии:
山内一豊は小説が偉大過ぎて実態がわからんね…おそらくは小山評定より東軍諸将の取りまとめを評価されての土佐一国と思われる
Ответить素晴らしい解説ありがとうございました。
Ответитьひろゆきがちょこちょこ広告で出やがる!まじ嫌い!あの売国奴!
Ответитьさすがのチョイス。オマエラ分かってるわ。ただ、高知県民やないけど、仙石だけは許さん。
Ответить毛利隆元「俺は無能だ」
毛利秀元は輝元から見たらいとこ、だが養嗣子でもあった。
岡左内がないやん!
蓄財が趣味で金貨をばら撒いてその上で寝ることが生きがい。
主家の財政が困窮したときは財産を献上した人。
武田信玄のラブレターに関する逸話も面白いぞ。浮気した言い訳をしているやつ。
Ответить古田重然
Ответить前田利家はケチで貯めた金を大名に貸して恩を売ってたから、政治感覚がない訳ではないと思う
Ответить一豊さんは、あの相撲呼び出しからの暗殺からも分かるように小物感が強すぎて、嫁さんが有能なのもあいまって「嫁のおかげ」感がより強調されてる感・・・
Ответить俺の御先祖様を馬鹿にするな‼️馬鹿野郎
Ответить殺してヤバいは
Ответить誾千代さんは北斗の拳で言うところのラオウなのに婿養子に来たのが宗成(ケンシロー)だったのが運の尽き
これが宗成の弟で敵国の姫に押し掛け女房された直次(トキ)さんだったら上手くいったかもしれないな。
伊達政宗も入れるべき。
父親が人質 → 父親もろとも敵を皆殺し
母親からは → 毒を盛られる
弟を → 切り殺す
秀吉 → 花押に針を通していないのは偽物と詭弁を吐き、嘘つきで生き残る
家康 → 関ヶ原で家康の目を盗んで一揆を先導
本人 → 昭和後期に墓を掘りおこされ、本人の脱け殻の骨が、大河ドラマで使われる。
毛利元就や、石川五右衛門を凌ぐ大悪人じゃん。ちゃんと紹介すべき。
一番残念なの夜叉九郎の戸沢盛安で
あまりにも早死し過ぎました
戸沢家は弱小大名であり
南部、安東家は強敵でした
南部晴政も最後は残念でした
信直との対立は凄まじかったです。
佐竹義重の家臣の佩刀チェック(毎回)とか
毎晩寝る部屋変えてるとかまあまあ変だけど
このラインナップの前じゃ可愛く思えてくる
仙石秀久はもっとも挽回した男じゃないね。 失敗してなかったら最低でも20万石、それ以上には出世していたから5万石どまりじゃ『やや挽回』だよ。 もっとも失敗し、もっとも挽回したのは徳川家康じゃん。 三方ヶ原でフルボッコしてから、天下統一だからね。
Ответить現れたタコはダゴンかもしれないね(クトゥルフ脳
Ответитьリアル小判風呂を実行した岡左内が面白い。猛将兼高利貸し。お金大好きで毎晩貯めた小判を数えながら全裸で小判の上を転がり回っていたという逸話あり。。
Ответить変な戦国武将で備後福山藩初代藩主水野勝成を挙げないのは広島県福山市民として納得出来ない!wwwww
若い頃から殺人狂 部下斬り殺して父親に勘当されさらに奉公構もセットで 戦は強いのであちこちに仕官はするが
すぐに勝手に出奔 放浪してはあちこちで人を斬る とにかく一番槍 水野家に戻って従兄弟の徳川家康に「もう
一番槍はするな」とくぎを刺されてもやっぱり一番槍 大坂夏の陣では真田信繁の後背を絶ってからとどめ そこから
備後の国もらった途端なぜか名君化wwwww 新田開発で10万石を15万石にしイグサ栽培等で現金収入も
水道整備藩札発行まで全国に先駆けて実施 家臣領民に慕われ水野家時代は目付もおかず一揆も無し しかし
殺人狂は実は治っておらず島原の乱には子と孫を連れて九州以外の大名で唯一参戦「兵糧攻めはもういい
総攻撃しろ!」と一喝 子が一番槍する辺り血は争えない 87歳で鉄砲撃って的に当て88歳で畳の上で大往生
地元民が言うのもなんだが無茶苦茶過ぎるwwwww
島津家のエピソードは殆ど頭おかしくて好き
退却するのに敵の本陣突っ切るとかどうかしてる
酔っ払って船遊びして溺死した長尾の智将と猛将とか、本領安堵力後のお祝いしてたら山崩れで滅亡しちゃった飛騨の人とか。やたら規律に厳しい日野の優等生くんとかもあるなw
Ответить軍用犬を実際に使っていた大田資正とか
Ответить千葉邦胤
その名の通り現在の千葉県のあたりを領地にしていた大名、千葉氏時代は源頼朝に協力し鎌倉幕府の設立に貢献した有力者・・・だったが戦国時代には没落しており勢いのあった後北条氏に庇護もとい傀儡とされていた。
そんな彼だが名門の為あの織田信長がら親書と馬を送られている、が名門のプライドか信長の親書にブチ切れ馬の尻尾の毛を刈り取り送り返すという奇行を行なっている。
そんな彼の最後はまあなんというか
新年に祝いの宴で接待役をしていた小姓が何度も屁をこくので注意した所その小姓に「人前で恥をかかせるな!注意なら後でしろ!」と逆ギレされ、ブチ切れた邦胤は小姓を切ろうとしたが周りに止められその場は治る
しかし、この小姓よほど腹が立ったのかこの事件から5ヶ月もたってから邦胤を就寝中に襲い、結果としてこの時滅多刺しにされた傷で亡くなってしまうのだ、享年29
その後小姓は自害したが、結果より後北条氏の介入を招き、彼の後は彼の嫡男ではなく後北条氏の血縁が無理矢理継ぐことになる。
小田氏治とその家臣団が、上島竜兵と上島軍団にしか見えない……
Ответить本人はド天然&スーパー肝っ玉野郎なだけなのに幼少期から周囲に狂人が複数いたため珍エピソードがつきまとう西国無双さん……
Ответить小田氏治は「負け続きなのに家臣が離反しない」「負けて城追われたのに何故か領民が勝者の佐竹じゃなく避難中の小田に年貢を納めた」という謎の人望が
Ответитьフォローしておくが宗茂さんは普通にいい人である。金銭面や政治に疎かったり生活力がない(浪人時代家臣が干してた飯をほったらかしにして雨に野ざらしにした)も魅力の一つだよ、うん
後人に好かれやすいんだよな。それも個性の闇鍋みたいな奴らから
一豊って左目尻から右顎下に矢が刺さったまま、自分を射った武将を打ち取って無かったっけ??猛将のイメージがある。
Ответитьなにげに東北も濃いのがおおいなぁw
他にも「謀将だけど怪力」「鮭大好き」「シスコン」と知られる最上義光もいるし。
大島光義、戦国時代でおそらく最強のアーチャー(弓使い)、13歳の初陣で弓で敵将を撃ち取って以来、関が原の戦いで93歳で出陣して家康に褒賞貰うまで生涯53度の合戦に臨み、41通の感状を得た80年の戦歴持つ戦国武将。ちなみに97歳で死去という非常に長生きだった。
Ответить日本テレビのドラマ「関ケ原」でアイデアをパクる山之内一豊を千秋実が飄々と演じてて、パクられる方堀尾忠氏を角野卓造が演じてたな。
wikiでは「山内一豊と城提供の策を謀議し」・・とあるね。
山内一豊と輝政は対毛利の抑えなので本当は毛利との休戦は怪しかったんだと睨みます。側室持てずに弟の血筋が…の一人、。まつは利家のロリを許したのが偉いなぁ。島津悪久の徳川仲良しは明治維新を呼んだのが凄い。秀秋さんは重度のアル中で足利9代と同じ英主だけど寿命激短…(死人に口なし)
Ответить小松帯刀の先祖は肝付氏だよ。禰寝氏の嫡流の小松家の養子になっただけだろ。
因みに俳優の上原謙と加山雄三に競馬ジョッキーの武豊も禰寝の血を引いている。
仙石さんいないと出石そばないしな~
Ответитьネタ的には井伊直政のやってることがまんま「赤い彗星」なんよなw
Ответить家臣のオナラ注意して逆恨みされて
殺された人もいましたね。
かなりの名家なのに…
戦国鍋TV見ればだいたい紹介されるやつやな
Ответить紀州の南龍公は20年早く産まれていれば結城秀康と並ぶ勇将になっていたかも知れん。真田信之に師事したりと人を見るセンスも良かった。
Ответить山内一豊の土佐藩の相撲暗殺事件、土佐一国手に入れて気が抜けて心病んでた説あるのではないだろうか
Ответить津軽為信、地元民として大好きな大名。
ワイは藤原氏や!と叫びまくって認めさせたクソ度胸とか面白い。